朝鮮民主主義人民共和国訪問の印象
【吉田 進】 北朝鮮訪問の印象(「日朝交流学術訪問団」に参加して) 2014.11.10
「朝鮮民主主義人民共和国訪問の印象」寄稿文
2014年10月7日から13日まで日朝交流学術訪問団の一員として北朝鮮を訪問した。北朝鮮は大きく変わろうとしている。それをいくつかの事例で明らかにしたい。
1. 町を走るタクシー:
昨年9月に訪問した時にタクシー会社は1社だったが、今年は4-5社に増えた。タクシーの普及は、その便利さが市民に高く評価されている。北朝鮮では中・小型水力発電所からの電力供給は比較的充実しているが、一方石油産地がない。それが都市交通に影響を与えた。これまでの公共交通手段は電車とトロリーバスだった。最近はロシアなどから石油製品が入りやすくなったので、タクシーが伸びたのだろう。
2.農業の発展:
昨年の糧食生産量は566万トンであり、前年比30万トン増えた。1965年以降作業班制度が設けられ運営されてきた。2012年農地改革が行われ、下半期に小組管理制を導入した。それは作業班の下に20世帯前後で組織されている。その枠内で、2世帯で一定区画の土地を管理する体制を確立した。新制度によると、収穫後一定の量を国家に納入すると、あとは現物で農家にあたえられる。農家は自家用分を残し、自由に販売する。それが効を発し、農民の土地への愛着が蘇ってきた。とうもろこしの収穫後、すぐに有機肥料を畑に運んでいる農民を見かけた。
ジオレス・メドベージエフは「ソビエト農業」という本で、集団農場化後「大地との有機的、個人的かつ感覚的な絆を保持している農民がほとんどいないのは、この種の結びつきが私的所有と個人責任性によってしか鍛えられないからだ」と述べている。その本ではスターリン時代の農業飢餓を呼び起こした原因の一つは、農業の集団化により農民の土地に対する愛着をなくさせたことだ、と断定している。
中国では、土地の個人的請負制を1979年に万里副首相の提唱のもとに導入した。その結果中国では農業の自給体制が確立した。
3.経済開発区:
2013年11月に鴨緑江経済開発区など13カ所が決まった。更に2014年7月には恩情先端技術開発区など6カ所が追加された。これは地方に大幅に権限を委譲し、地方経済発展の軸にしようと言う構想である。これは大きな政策転換である。その他に羅先経済貿易地帯、黄金坪・威化島経済地帯、金剛山国際観光特区、開城工業地帯、新義州国際経済地帯という経済特区がある。これらの地域の管理も含め、6月に貿易省が対外経済省に改編された。
経済特区の設立は、金正日総書記と切り離せない。同総書記は2010年5月、8月、11年5月、6月と4回訪中した。10年8月には胡錦濤総書記と、11年5月には温家宝総理と会談した。8月の吉林省訪問時には、中国の開発区を視察した。中国との黄金坪団地の共同開発合意は、経済開発区を作る実験台となった。
中国の場合、1980年5月に深?、珠海、汕頭、厦門に経済特区が設置された。1984年には上海、天津、大連等沿海の14都市が「沿海開放都市」に指定された。1990年4月には「上海浦東新区」が設定され、「全方位開放戦略」が進められた。この間に中国の輸出入総額は、381.4億ドル(1980年)から1,116.8億ドル(1989年)へと2.9倍に増大した。最近は上海の経験を生かし、同新区を天津、福建省に拡大した。
4.住宅建設:
150mのチュチェ思想塔に登ると平壌の全景が見られる。その中でも増えてきた高層住宅が目立つ。住宅建設を国民の生活水準を上げる一環として重視している。最近は科学者の住宅を7ヶ月間で作り上げた。金正恩第一書記が40日間の病気療養後、最初に視察したのがこの住宅である
5.朝鮮の速度:
最近の流行語である。意味するところは、物力、人力を集中して短期間にプロジェクトを成し遂げると言うことだ。元山の馬息嶺スキー場がその例だ。
11の滑走路とリフト、ホテルの建設を7カ月で完成した。私たちが参観に行った時には200人以上の兵士がリフトの拡大建設に取り組んでいた。
最も圧巻だったのは国際空港の建設だ。昨年の10月に何もなかった所に大型の空港が姿を現した。滑走路の修復・延長に2,000人以上の軍隊を動員して建設を進めていた。
集中のあと一つの側面は資金の調達である。計画経済の下では、前年度の実績に基づいて計画の立案・資金の配分が行われるので、それを削り、資金を特定のプロジェクトへ集中させるのは極めて難しい。資金をどのように調達するのかと聞いたところ、最近は歳入が増えているので、その分をまわしていると言う回答が返ってきた。
以上から言えることは、北朝鮮は、新しい指導者のもとで、伝統性と継承性を強調し、一方では核兵器の開発、もう一方では、国民の生活水準の向上という政策を掲げながらも、後者に重点をおき、時代にあった経済の改造を確実に推し進め始めた。 /以上
「日朝交流学術訪問団」2014.11 写真撮影by吉田進氏
元山港の「万景峰号」 (塗装は綺麗でさびも無く状態は良好でいつでも出港が出来る様子) | ホテルからの平壌市内のビル群 |
宋日昊大使(中央)と記念撮影 | 馬息嶺スキー場ホテル(外国人300人宿泊可) |
付記: 「日朝交流学術訪問団」報告会 2014.11.8
「日朝交流学術訪問団」の報告 (NEANETメールニュースNo.55 2014.11.11にて発信済み)
11月4日訪問団の報告会がありましたので概要を報告します。9月29日瀋陽での政府間協議直後の訪問であり、宋日昊朝日国交正常化交渉担当大使との会談も実現し、特別調査委員会についての説明を含め、時宜を得た報告会であったので会場は満員であった。
1.メンバー:和田春樹(東大名誉教授)、小此木政夫(慶大)、小牧輝夫(大阪経法大)、吉田進(元ERINA理事長)、木宮正史(東大)、平井政夫(立命館大)、
布袋敏博(早大)、西野純也(慶大)、美根慶樹(元日朝交渉大使)、竹中一雄(元国民経済研究協会会長)など10名。
2.行動:一行は10月7日~13日まで平壌に滞在し、社会科学院経済研究所、チュチェ文学研究所などとの懇談の他、宋日昊日本担当大使との面談を実現した。
元山港では「万景峰号」を見、馬息峯スキー場などを視察。平壌では革命展示館・解放戦争勝利記念館などを参観。光復地区商業センターなどを視察した。
3.報告:
1)平壌の全般的印象:
①木宮氏:平壌市内は活気が感じられ、女性の服装やピアスをした若い女性などに消費文化の上昇が見られる。金正恩指導による公園・遊園地が増えている。食品は可なり充足の様子(「光復地区商業センター」は中国商品が豊富でウォンを人民元に交換して購入)。交通インフラはまだまだ。タクシーは3社位あり駅前には駐車しあり。新しい自転車や携帯電話が増えて購入可能なレベルにある中間層が増えつつある様子。
外国通貨はドル・円より人民元が主力である。
②小此木氏:前回2005年10月以来10年ぶりの訪朝。訪朝自粛でその間の変化を見過ごしてきた。自粛としてこちらから出向かないのは制裁ではない。平壌は活気がみられ物資の流通状況は成長している様子が見られる。政策変化の兆しはある。社会主義的な蓄積もある。特別な資金を調達している。中国経済の影響で経済は上向きだ。物資が不足して崩壊する状況にはない。外国からの資本・技術は経済のテークオフのために欲しい。
2)経済について:
①小牧氏:落着いた市内の雰囲気だ。(訪問時は労働党記念日の祝日ムードでもあったが)。長期的な見極めからは90年末来徐々に良化している。 「光復地区商業センター」では15分位しか見られなかったし、バス車窓からの風景など極く市内の一部の中心しか見ていない。元山でも住宅・公共建設が進みつつある。
社会科学院の話では、農業と軽工業に力を入れている。穀物生産量は566万トンで前年比33万トンの増産。自給のレベルに近づいている。700万トンが望む生産量。田畑責任管理制をしいている。工業の管理体制も改善中であると。
②吉田氏:農業は、1昨年から個人請負制(中国は09年から)により、逆戻りしなければ今後も進んで行くであろう。
タクシーやバス用のディーゼル油などロシアから入っている(中国から止まっても)。住宅・トロリーバスなど電気は小型発電所を増やしている。2400万人の人口に対して軍人は100万人であり、軍人が住宅・空港インフラや農業生産活動などに従事している。 「朝鮮速度」=「集中投資」の言葉がある。
3)宋日昊朝日担当大使との懇談:
①平井氏:宋大使の説明では、「特別調査委員会」は誠実に調査に応じている。委員会のための建物も用意している。安倍政権を評価していると。ストックホルム合意以後の発言を肯定的に捉えているようだ。調査期間1年については日本側の発言に対して留意しながら同意した。随時報告と情報を共有する。「万景峰号」は整備しておりいつでも日本の受入を待っている。
②美根氏:宋大使は、いつでも説明の用意がある。その機会がない。調査を遅らせてはいない。両者の食い違いを解く「鍵」はあるか?については、認識のずれがあるが解消されていないと。過去の調査(2000-2004年)との違いについては、前は国家保衛部であったが、今回は我々「特別調査委員会」が行っている。