【吉田 進】 (寄稿文) 「牡丹江市・渤海王國と能登半島」
20年前に牡丹江市を訪問する機会があった。市政府の建物は、金沢の北陸大学のように丘の上に建っており、町が一望できる。
控え室には大津市から送られた大きな旗が飾られていた。なぜ大津が牡丹江へ?
その日の会談の最後に、大津との関係について尋ねたところ、渤海王國時代の交流の復活だという回答が返ってきた。 能登半島の福浦港には、渤海王國から船が着いた記念碑がある。北陸電力のロビーにはその船の模型が飾ってある。能登町地域活性化推進協議会は、渤海王國との交流の歴史を掘り起こし、同地域との交流を推し進めてきた。 渤海王國は7世紀に存在し、 現在の黒竜江省の鏡泊湖から吉林省、更にロシアの沿海州南部を支配していた。日本に向かう帆船は、ポシエット港から出ていた。 ポシエット港では、長年にわたって渤海王國遺跡の採掘が行われていて、夏期には、青山学院大学の学生が参加している。ここから200km先にウラジオストク港がある。
ロシアのウラジオストク市は、最近先進発展地域と自由港の指定を受けた。関税の優遇政策がとられ、中小企業を育成するため、2016年から3年間納税の監査を行わないことも決まった。この地域の振興を図るため、9月3日から東方経済フオ-ラムがウラジオストクで開かれ、プ-チン大統領が参加する。旅行者は、7日間ビザなしで滞在できる。
韓国が渤海王國はかって高句麗の支配下にあったと歴史問題を提起してきたので、中国ではこれまで渤海王國については取扱いが慎重だった。 7月15-17日に日中経済協力会議が瀋陽で開かれた。黒龍江省の孫堯副省長は、講演の中で、日中間の7世紀の交流に触れ、この歴史遺跡を巡る観光交を発展させようと呼びかけた。 この地域は、中国、ロシアと北朝鮮の交差点にあり、シルクロ-ドの東方にある。 ロシアの東進政策、中国の東北地域発展計画が有機的に結合し、新しい形態の経済協力、地域協力が産まれる可能性は十分ある。
歴史の探訪を中心とした観光、歴史の学術交流と地域の経済交流を発展させようという地元の熱意を汲み取り、渤海王國地域と能登の交流が実を結ぶ事を願ってやまない。
東京城興隆寺の渤海国時代の石灯篭(高さ6m) | シーサイドヴィラ「渤海」に展示中の渤海使船の模型 (同上の「渤海」より写真提供あり) |