【吉田 進】(寄稿文)「日ロ経済共同開発」の問題点 (2017/5/8)
「ロシア極東における経済協力」と「北方4島における共同経済活動へ民間企業が参加する上での問題点」について:
安倍・プーチン両首脳会談が重ねられつつありますが、民間企業が参加する上でいくつかの問題点があります。これらの問題点をピックアップして行こうと思います。
ロシア極東における経済協力と北方4島における共同経済活動活動について、最近次のような発言が聞かれる。
安倍総理の独断で進め、官庁の一部が先行して既成事実を作っているが、民間が付いて行ってない。
このような批判が出るのには、一定の根拠がある。
この実態は;-
1. 民間企業がプロジェクトを進めるにあたって、資金調達が問題になるが、すぐに応用が利くシステムがない。国際投資銀行の融資が存在するが、中小企業に取って、 要求される条件を満たすのがかなり厳しい。
2. プロジェクトには、日ロ双方の参加が必要だが、ロシア極東には、日本の相手になりうる資本力と経営手腕を持った経営者が少ない。モスクワからの投資者とマッチ ングするのも至難の技だ。
3. ロシアの関係省庁がロシア各地方の日本との経済協力希望テ-マを紹介してくるが、抽象的な 内容が多く、日本の一般企業が直ぐに取り組めるような内容は少ない。 またヨ-ロッパ地域にある地方自治体のプロジェクトは、ヨ-ロッパ諸国と交渉したものが多く、地理的配置から見ても日本の参加が難しい。
以上に述べた問題点は、地政学的な要素もあり、全てが直ぐに解決できるものではない。しかし、これらの問題点に両国政府が留意しつつ、一つでも解決できるよう努力する事が望まれる。(吉田進 2017.5.7)
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【吉田 進】 (寄稿文) 「ロシア極東訪問記」シリーズ
(寄稿文)「ハバロフスクを訪れて」吉田 進 (2016/1/5)
2015年12月9日にハバロフスクを訪問しましたので、ロシア極東訪問のシリーズの続編として寄稿します。
ハバロフスクで極東商工会議所のM会頭に久しぶりに会った。
「日本の優れた中小企業と協力関係を作りたいが、今の情勢下では難しい。最大の理由は、ル-ブルの為替レートの
下落で航空運賃が高くなった事だ。 ル-ブルの相場は、原油価格に左右され、昨年以来2分の1になった。」
「アム-ル川を隔てた黒龍江省から代表団が度々やってくる。この前も陸昊省長が200人の団員を引率して当地を訪
れた。彼等は、木材加工企業の設立につき合意した。買い付けの多いのは、蜂蜜、肉加工製品などだ。 生活水準があ
がったこと、ロシア製品の品質が良いことがその理由だ。中国の南部の一部地域では、蜂に砂糖水を与え、吐き出した
ものが蜂蜜の中に入っているという噂がある。それと比べると、ロシア製は自然の恵みそのものだ。」
最近ではシベリア産の物が極東へ流れて来ているという。 アム-ル川畔を訪れると、川は完全に氷結し、先日降ったと
言う雪がその上に30センチほど被さり、雪原を造っていた。その彼方に黒ずんだ山々が見える。「あれが中国だよ。
この波止場から中国へ行く船が夏には出る。上流の対岸に撫遠という中国の町がある。そこに通関拠点があって、自由
に行き来ができる。70キロほど離れているので、行きが1.5時間、帰りが50分。料金は300ル-ブル(約600円)
だ」「最近大ウスリー島への橋を掛けた。中国側も島へ橋を夏に建設したので、間も無く通関拠点が設立される。
すると陸続きで年間を通して自由に行き来ができる。中ロ間の往来は数百年と続いているが、このような出来事は歴史
的な大事件だ」。
次に対外経済発展銀行を訪問する。ロシアが設立した極東発展基金の運用銀行であり、また日本の国際協力銀行の
ロ-ンの受け入れ側でもある。取り扱い基準としては20億ルーブル(36億円)以上の案件だという。日本とのプロ
ジェクトもそれ以下の金額は取り扱わない。それ以下の中小プロジェクトはどうするのかと聞いたら、輸出保険とロ-ン
を同時に扱う子会社があるから紹介するという。この関係の可能性は、研究する必要がある。
科学アカデミー極東経済研究所を訪問したら、ハバロフスク地方の2030年までの計画を作成中だという。この要
請は、極東発展省からだされた。先進発展地域の設定と不可分であり、産業発展の展望を明らかにするのが目的であろ
う。 産業の発展は、周辺諸国との協力が不可分である。その中でも日本の役割は大きい。韓国、中国との分業、ある
いは協同事業もあり得るのではないかと思った。(以上)
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(寄稿文)「ウラジオストック訪問記」(4) 吉田 進 2015.08.03
この訪問記はこの4回目で完結します。下記のように記載順が(4)(3)(2)(1)と逆になります
のでご留意下さい。
3.先進発展地域の設定について
先進発展地域の導入は、極東ロシアの投資環境を改善する。2014年10月15日に連邦政府は、この法律を下院の
審議にかけた。
12月12日にプ-チン大統領は、「シベリアとロシア極東の発展は、21世紀のわが国の国民的な優先課題である」と演説した。
「解決しなければならない課題は、規模の大きさから言っても前例のないものである。従って、我々の歩みも非スタンダート的なも
のでなければならない」と檄をとばした。
そして2014年12月29日に先進発展地域設立に関する法律に署名した。
先進発展地域を設定した前提は、この地域の天然資源の豊かさ、国内市場の大きさと自然地理的な配置からくる アジア・太平洋諸
国との協力の可能性である。 投資条件を整えるために、アジア近隣諸国の経験に学び、税制、社会保険、養老年金などの優遇策、
外国人労働者の自由雇用などを取り入れた。
香港やシンガポールに劣らない投資条件を創ろうとしている。
この制度は最初の3年間ロシア極東だけで実施される。その後全ロシアに普及する。
この制度を実現するために、投資プロジェクト実施委員会を設けた。委員長にトルトネフ副首相を任命、その配下にガルシカ極東
発展大臣をおき、投資導入局、ロシア極東発展会社(土地の手当て), ロシア極東発展基金(融資),労働資源導入庁(労働者確保)を
設置した。
最初に先進発展地域に選ばれたのは、14の地域である。
沿海州 ルースキー島、沿海州ナジエルジンスカヤ地区、サハ共和国 バザリットー新技術区、ハバロフスク州ラキットナヤ地区、
カムチャッカ州 カムチャッカ地区、アム-ル州エカテリナスラフカ地区、JBICユダヤ自治区スミドヴイチェスカヤ地区、ハバロフ
スク州ヴァニノ-ソヴェツコ-ガヴァニ地区、ハバロフスク州コムソモリスク地区、沿海州ザルビノ地区、沿海州石油化学地区、
アム-ル州ベロゴルスク地区、沿海州ミハイロフスキー地区、サハ共和国ダイヤモンド地区で、投資額は民間が6,003億ル-ブル、
政府資金が888億ル-ブル、雇用創始数は36,009人となる。
日本に近い沿海州では、連邦大学のあるル-スキ-島でのリゾート地開発、石油化学コンビナ-トの建設、
ザルビノ港の開発、ミハイロフスキー地区の農業開発が注目される。
6月25日にメドベージエフ首相が政府委員会で署名した先進発展地区(TOR)は下記であるが、
1)と3)は重複している。其の相互関係が不明である。内容が具体化したので、政府で援助策を検討したのかもしれない。
1)コムソモリスク地区(ハバロフスク地方)
航空機用部品製造、木材加工
投資額:民間104億ルーブル、連邦・地方12億ルーブル、創出雇用:2600人
2)ハバロフスク地区(ハバロフスク地方)
冶金工場、農業用温室施設、倉庫・物流施設
投資額:民間345億ルーブル、連邦・地方24億ルーブル、創出雇用:4600人
3)ナジェジンスキー地区( 沿海地方)
物流施設、製菓工場、半製品製造
投資額:民間67億ルーブル、連邦・地方39億ルーブル、創出雇用:1600人
(出所:6月25日付コメルサント紙)
上記2)には、日揮が設置中の自動植物工場なども入っている。
先進地域導入の規定の「スピード化」の項では、規制緩和、官僚制の打破を謳い、すべての問題を一つの窓口で解決し、たらい
回しを無くすことを目標にしているが、その実現にはかなりの努力が必要となろう。
*注、「ウラジオストック訪問記」は本稿(4)で終了します。
/以上
(寄稿文) ウラジオストック訪問記(3) 吉田 進 015.7.22
(第3回目です)
2.「東方経済フォーラム」について
東方経済フォ-ラムの大統領決定は、2015年5月19日になされた。その内容は、このフォ-ラムを毎年恒例化し、ウラジオ
ストク市で開く、フォ-ラムの準備と実施のための組織委員会を編成する、組織委員会の規則を制定する、2015年9月
3-5日に第一回フォ-ラムを開催する、政府の財源を決定するなどである。
規則では、委員長は連邦副大臣兼極東地域管区大統領特別代表であり、委員長は、副委員長と委員を任命する事ができる。組織委員会の
最大の課題は、連邦政府、地方政府、その他関連機関の調整をしてフォ-ラムに力を結集する、その中で極東ロシアの中小企業を育成す
るなどにある。
6月18-20日にサンクトペテルブルグ国際経済フォ-ラムでプ-チン大統領が東方経済フォ-ラムの開催にふれ、それが全世界に敷
延した。 サンクトペテルブルグ経済フォ-ラムには、NHKの石川 一陽さんが常連で参加しており、彼から一昨年、財界人の参加が少
ないので、動員ができないかと相談を受けたことがある。その時の印象では、ロシアの対外政策を知るのには良い機会だが、ヨ-ロッパ
からの参加者が多いので、極東の案件が検討されるのか、日本との協力が話題になるのか、などが心配された。
今回は、東アジア、太平洋諸国を対象としたフォ-ラムである。極東ロシア発展の施策として、極東地域における先進地域の指定、
自由港の設置と合せて行われた。 一連の新しい措置は、相互に影響を及ぼしながら、経済の活性化・自由化を促進するものである。
その中で、中小企業の育成に特に力が注がれる。従来のフォ-ラムは、首脳陣の上から下への説明という指令型だったが、今回は、
企業マッチングを基礎に、行政を巻き込むロシア極東の特殊性を考慮した、下から上への協力型のフォ-ラムにするという。
「自由港」に関する法律は7月3日に下院を、8日に上院を通過し、13日に大統領の署名を得た。
7日間のビザなし滞在制度は、9月から実施され、自由港の全面的実施は2016年6月からである。
ウラジオストクとロシア極東の住民は、この変化を驚きと喜びで出迎えた。自由港の法律立案には400人以上の有識者の意見を聞
いたと言われているが、従来の指導者まかせではなく、住民が主人公となって改革を進めることを望む。 /以上
(寄稿文) ウラジオストック訪問記(2) 吉田 進 2015.7.6
(第2回目です)
1.ウラジオストツク市の変貌
ウラジオストックがロシアの支配下で開港したのは1860年7月2日である。それまでは小さな漁村で、ナマコを取る中国漁民が
住んでいた。
中国では海参威と呼ばれていたが、海参とは中国語でナマコのことである。
その年の11月に調印された北京条約で沿海地方は正式にロシア領となった。
ウラジオストックは、日露戦争や第2次世界大戦の試練を受けて、ロシア極東の最重要港湾都市として発展する。第2次世界大戦後も
冷戦時代が続き、1958年に太平洋艦隊の基地として閉鎖都市となった。外国の領事館はナホトカ市へ移った。閉鎖が解除されたのは
1992年である。
再び脚光を浴びたのは2012年のAPECの開催である。2007年9月、シドニーでのアジア太平洋経済協力会議
(APEC)首脳会議で、2012年にウラジオストック開催が決まり、プーチン大統領は、そのための大規模開発をアピールした。
「欧州の窓」であるサンクトペテルブルクと比較してウラジオストックを「アジアの窓」と位置付け、
「立派に開催できるよう全力を尽くす」とプーチン大統領は9月7日決意をのべた。
APECの会場は元潜水艦基地のルースキー島に建設された。そこには「戦争から平和へのシンボル」という意味が含まれていた。
ウラジオストック市の南端とルースキー島を結ぶ斜張橋(添付写真)は、IHIの設計で完成した橋梁。斜張橋の構想がロシア側で
発表された時、IHIの昼間副社長と話し合ったことを思い出す。
「ぜひこの橋を取ろう」。その後の彼の行動は早かった。IHI の技術者がウラジオストクにすぐに飛ぶ。ユーリさんの案内で、予定地
を見て、アドバイスをしてもらう。
そのあとモスクワの駐在員がオムスクの橋梁研究所に交渉に向かう。完成した時、この斜張橋はその時点で世界一長かった。日ロ友好の
シンボルとして、歴史に残るひとこまだ。
最近の出来事は、ウラジオストック港が、「自由港」に指定されたことだ。本年5月下旬に閣僚会議はウラジオストックを自由港にす
る決議を採択した。
プーチン大統領は6月19日にサンクトペテルブルグで開催された国際経済フォーラムで演説し、ウラジオストック港に、税制面の特権
などを付与し「自由港」とする計画を明らかにした。指定を受けるのは、ウラジオストックを中心に、西はザルビノ、東はナホトカまで
の主要な港である。(共同)
7月3日下院はウラジオストックを「自由港」に指定し、税制面の優遇措置などを付与する法案を可決した。
上院での審議後、プーチン大統領の署名を経て年内にも発効する。法案を提出した極東発展省などによると、企業などへの課税が軽減さ
れるほか、同地域を訪れる外国人への査証(ビザ)規制も一部が緩和される。
ルースキー島とを結ぶ斜張橋(IHI設計) (2012.7.2開通)(本人撮影)
(寄稿文) ウラジオストック訪問記(1) 吉田 進 2015.6.30
ウラジオストック。 6月に入り、久しぶりに訪問した。
まずAPECの成果が定着しつつある、と痛感した。空港から直進し、アムール湾を横切る14kmの洋上橋を走り、渋滞を避けて
市内に入った。多くの家屋の壁が塗り替えられ、それに照明が加わり、美しくなっていた。
5月下旬に閣僚会議は、ウラジオストクを自由港にする決議を採択した。議会は関連法案の立案
が始まった。ウラジオストク港というが、広義の解釈をし、その近辺の港、例えばナホトカ、スラビヤンカ、ザルビノ、ポシエット
も含まれるよう連邦政府に要請しているという。
ビザ取得については、7日間ビザなし渡航ができる制度が12月までに採択されるという。
ロシアの東進政策の一環として、先進開発区制度が採択されたが、その地域指定が正に進められている。
沿海州では、ザルビノ港や 漁業加工地区が指定されている。
トルトネフ副首相兼極東連邦管区大統領全権代表の管轄下にガルシカ極東発展大臣が入った行政促進機構ができているが、今回
目立ったのは 、極東発展基金の活躍だ。
更に中小企業に対して2016年から3年間にわたり税務監査が入らない法律が成立する。これは地方の中小
企業の育成に大きく寄与する。西側のロシアに対する制裁に対する対抗策の一つとも読める。
滞在の期間にゴルチャコフ沿海州議会議長、ゲルッエン・ハサン地区副地区長、ポカチーロフ・ベルクート社長、シードレンコ極東発展
基金常務理事・ウラジオ事務所長等と会談し、ザルビノ港、スラビヤンカ港、個人農業(大豆栽培)、ナマコの飼育・加工基地などを訪問
した。
次回はその詳しい内容に触れていきたい。
ウラジオストック・アムール湾の洋上橋 (本人撮影)
(寄稿文) 「牡丹江市・渤海王國と能登半島」 吉田 進 (2015/08/25)
20年前に牡丹江市を訪問する機会があった。市政府の建物は、金沢の北陸大学のように丘の上に建っており、町が一望できる。
控え室には大津市から送られた大きな旗が飾られていた。なぜ大津が牡丹江へ?
その日の会談の最後に、大津との関係について尋ねたところ、渤海王國時代の交流の復活だという回答が返ってきた。 能登半島の福浦港には、渤海王國から船が着いた記念碑がある。北陸電力のロビーにはその船の模型が飾ってある。能登町地域活性化推進協議会は、渤海王國との交流の歴史を掘り起こし、同地域との交流を推し進めてきた。 渤海王國は7世紀に存在し、 現在の黒竜江省の鏡泊湖から吉林省、更にロシアの沿海州南部を支配していた。日本に向かう帆船は、ポシエット港から出ていた。 ポシエット港では、長年にわたって渤海王國遺跡の採掘が行われていて、夏期には、青山学院大学の学生が参加している。ここから200km先にウラジオストク港がある。
ロシアのウラジオストク市は、最近先進発展地域と自由港の指定を受けた。関税の優遇政策がとられ、中小企業を育成するため、2016年から3年間納税の監査を行わないことも決まった。この地域の振興を図るため、9月3日から東方経済フオ-ラムがウラジオストクで開かれ、プ-チン大統領が参加する。旅行者は、7日間ビザなしで滞在できる。
韓国が渤海王國はかって高句麗の支配下にあったと歴史問題を提起してきたので、中国ではこれまで渤海王國については取扱いが慎重だった。 7月15-17日に日中経済協力会議が瀋陽で開かれた。黒龍江省の孫堯副省長は、講演の中で、日中間の7世紀の交流に触れ、この歴史遺跡を巡る観光交を発展させようと呼びかけた。 この地域は、中国、ロシアと北朝鮮の交差点にあり、シルクロ-ドの東方にある。 ロシアの東進政策、中国の東北地域発展計画が有機的に結合し、新しい形態の経済協力、地域協力が産まれる可能性は十分ある。
歴史の探訪を中心とした観光、歴史の学術交流と地域の経済交流を発展させようという地元の熱意を汲み取り、渤海王國地域と能登の交流が実を結ぶ事を願ってやまない。
東京城興隆寺の渤海国時代の石灯篭(高さ6m) | シーサイドヴィラ「渤海」に展示中の渤海使船の模型 (同上の「渤海」より写真提供あり) |